ジ・エンブリオ 代表獣医師 安倍明徳
熊本県熊本市 取材日:2023年8月21日
熊本県で約40年にわたり受精卵移植に関わる安倍明徳獣医。熊本県酪農業協同組合連合会を定年退職後は、ジ・エンブリオを開業。現在、年間の移植頭数は2,000頭を超える。自ら学び、技術を高める姿、なおかつ人の輪を大切にし、感謝の気持ちを忘れない安倍獣医の姿は、同郷・福沢諭吉の言葉「独立自尊」そのものだと感じた。
①農家の利益を生み出す― 獣医師を志したきっかけ 高校三年生の時、心臓の手術をしたんです。その経験から医者を志しましたが、医者になれるほどの学力はなく、動物が好きだったので“動物の命を助けられる獣医師になりたい”と決心しました。酪農学園大学に入学し、当時は馬の獣医になりたいと思っていました。 ― 受精卵移植(ET)との出会い 大学3年生の夏、北海道日高管内の診療所で獣医実習として馬の勉強をしていました。ある日、先輩から「明日ETっていうのがあるから、ホルスタインの右側けん部を剃毛しておけ」と言われたんです。ETってなんだ?と疑問に思っていると、翌日多くの人が集まり、オーストラリアの技術者が牛の腹を切開し、ガラスピペットで直接受精卵移植をする現場に立ち会うことができました。その技術と早さにびっくりしたことを覚えています。 ― 熊本県酪農業協同組合連合会(らくのうマザーズ)に就職 大学卒業後、縁があって熊本県酪農業協同組合連合会に就職し、牛の診療をしていました。県酪連に入って3年後、ホルスタインの遺伝子改良を目的に熊本でも受精卵移植をしようという話になり、獣医師3人によるETチームが発足。最初は、採卵をしてもなかなか卵が取れず、やめようやめようと思っていました(笑) 受精卵移植が軌道に乗り始めると、今度は当時の会長がカナダ・アメリカから輸入牛を導入することを決めました。4年間で200頭を導入し、その輸入牛を中心に採卵・移植を繰り返し、ET技術の習得と遺伝子改良を進めました。 ― 体外受精卵の導入 その後、ホルスタイン雄子牛やF1子牛の価格は下落し、黒毛和種の採卵が増えていました。しかし、当時の採卵は卵が取れたり取れなかったりと効率が悪く、かなり投資をする必要がありました。 平成2年12月、品川の家畜バイテクセンターを訪れました。試験室でシャーレ中に入った紋次郎の体外受精卵を見た時、これは農家のためになると確信したんです。早速、3ヶ月にわたり紋次郎の新鮮体外受精卵を熊本に空輸してもらい、県内の酪農家のレシピエントに移植しました。結果、受胎率が良く、体外受精卵移植事業が開始されました。 ― 一番は農家の利益のために 診療・検診を通して牛の健康を守ることは、獣医として当たり前です。しかし、それが農家の利益になるかというと、そうではありません。獣医として大切なことは、農家に利益を提供できるかどうかだと思います。これまで体外受精卵移植の推進やETスモール市場の立ち上げなど、様々なことをやってきたのはそのためです。自分の働きで利益が生まれ、感謝された時、自分の存在意義と喜びを感じます。 ②信頼に感謝し、絆を育む― 世代を超えて繋がる 県酪連を定年退職後、ジ・エンブリオを開業しました。現在、移植に回っている農家のなかには、県酪連に勤めていた時代を含めると三世代に渡って付き合いのある農家もいます。第一に、私を信頼してくれていることに感謝し、頼まれたらNOとは言わないようにしています。 ― 仲間との繋がり 酪農学園大学には全国から学生が集まっています。大学時代は多くの友人に恵まれ、今でも関係は続いています。結婚式に呼んでもらって北海道に行くことも沢山ありましたし、季節ごとに特産品を送りあったりしています。また、酪農学園大学は同窓会やOB会が盛んで、獣医同士が世代を超えて交流することができています。 ③自己鍛錬を怠らない― 身体が資本 高校の時に手術を経験したことから、大学時代からバスケットボールを始め、社会人になっても続けていました。その後もバスケットボールの試合で審判をし、体力維持は意識しています。現在も時間があれば運動公園に行き、10㎞走ることもあります。仕事をし続けるには体力が必要です。体が資本ですからね。
Writer_R.Tsujiwaki
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