唐津ピッグファーム 代表 野口 孝弘
佐賀県唐津市重河内 母豚:300頭 取材日:2022 年6月9日
―「唐津ピッグファーム」誕生のきっかけを教えてください。 子どもの時から養豚農家を継ぐことは決められていました。4、5年でもいいから一般企業の経験をさせてほしいと親父にお願いしたこともありましたが、当時全額交通費などを出してくれた就職試験を受けに行くことさえも全て許されませんでした。 県の畜産担当職員とのつながりができるという理由で、農業大学校への進学を勧められ、その1年後家業に就くようになりました。 初めのころはやる気がなく、ほぼ毎日釣りばかりしていたことを覚えています。当時は、面白くなかったですね。このような日々が続いて、ある日、農場移転の可能性が出てきた時に、このまま続けるかこれを機に辞めるかという話になり、それから本気になっていきました。 —初めはやる気がなかったとのことですが、楽しさや面白みを感じるようになったことはありますか? ずっとこれまで「楽しい」と感じたことは一度もありません。 26歳ぐらいの時にお金をたくさん借り、当時は必ず儲かると思っていましたが、その1年後暴落して借金が返せなくなってしまいました。そういった状況を繰り返しているうちに、親父に「どこか別のところに勤めていいぞ」と言われたのです。正直、今更…という気持ちでした。辞めても自分には何も残らないと考え、それからすべての業務を父親から継ぎ、自分の力でやってみてつぶれるなら踏ん切りがつくと思ってやり始めました。 ①お地蔵様には頭を下げる
—苦しい時期からどのように乗り越えましたか?
父から経営を代わってみて、1番悪かったのは借金の金利でした。いろいろな人に相談し、教えてもらって交渉していくことで、改善してきました。昔は、餌なんて決められた値段しかないと考えていましたが、餌の値段を交渉していくことも仕事なんだと思いました。 それから、グリーンコープさんと出会って固定の値段で買ってくれることになり、10年ぐらいで返済が終わりました。 今考えると運が良かったとしか言えません。どんな努力をされたんですかと聞かれることが多いのですが、自分は努力はしていないと思います。 人生は運だと思っていて、どんなに努力しても波に乗れないとうまくはいきません。自分はこれまでリズムがよかっただけなのです。 ただ、車に乗っていてもお地蔵さんを見かけたら頭をさげるようにはしていますよ。 ―日頃大切にしていることはありますか? 最初に思ったことだけ信じるようにしています。迷ったとき、人に相談しても自分と違う意見だった場合は最初に思った自分の意見を採用します(笑)。 よく、神社で神様に何のお願いをしたかという話をする人がいますが、神様はお礼をするところでお願いや決断をしてもらうところではありません。自分で最初に感じた直感を信じて決断し、神様には道を踏み外さないように見守ってもらっています。 ―挑戦してこれは成功だったなと思うことはありましたか? これまで挑戦してきたすべてが当たってきました。 グリーンコープに入った時も、最初のころは組合員さんに向けてどういう買い方をしているかなどを説明しないといけませんでした。自分は人見知りなので、最初は窒息死するぐらい嫌だったのですが、1年ぐらい続けると慣れてきました。そういった挑戦をいろいろとやって今があると思います。 ②繋がりに感謝
人とのつながりが絶対に大事だと思います。子どものころ、親からお前はここを継ぐんだと頭は抑えられていましたが、横のつながりは自由でした。たくさんいい人に出会えたので、そういう面では感謝しています。
—これからの農業にどのようなことが必要でしょうか? 例えば今20歳だとしたら、「一緒にやっていこうや」というチームの形で、ネットなどを活用しながら楽しそうにやっていくと、これから成功して伸びていくと思います。 昔のような、社長だけが儲かるような会社でなく、これからは同じ志を持ったチームでやっていくことが求められるのだろうと考えています。 自分は、やる気がある人がいればいつでも唐津ピッグファームを譲るつもりです。正直、自分の代で辞めるのはもったいないですしね。 —同じチームである紅会のメンバーとのエピソードを教えてください! 同じ紅会の井上さんに餌や環境の事などを全部教えてもらいました。井上さんは、よく勉強していて本当に頭がよく、知識が豊富です。栄養学について学んだのも彼からで、それには感謝しています。餌屋さん等に、栄養について少し話をするとびっくりされます。配合飼料を買っているので、ある程度の栄養バランスは整っていると思いますが、栄養学を少し知っていることで、餌屋さんも正しい話をせざるを得ないので、それはよかったと思います。 また、今の組織に出会ってない時に、畜産メーカー界隈で、自分たちの噂が広がっていたようです。話を聞いたときに、最初は「誰だそれは」という感じでしたが、数年後には同じ会のグループになっていて、自分にとってそれは本当にうれしいことですし、縁を感じます。 実は、紅会には他のメンバーより後から入って、初めの頃とても緊張していました。何も話せないほど緊張していた時に、井上さんが優しく声をかけてくれたことが今でも忘れられません。今では、「先輩を立てろ」と怒られるほどの仲になっています。 ③養豚業ではなく豚飼いになれ
―農場を拡大されてきたとのことですが、どんな思いでしたか?
それは「えいやー」です。勢いとイメージでやってきました。かっこよくしたかったのです。子どもの頃、親父がボロボロの車で豚を出荷していき、その横を友達が鼻をつまんで通り過ぎていく姿を見て、すごく恥ずかしい気持ちになりました。だからこそ、自分は「かっこよくしたい」と思いました。 自分は、親父のようなボロボロのトラックではなく、全てステンレスで作ったトラックで出荷をします。親父からはステンレスでもお前のやり方次第でさびていくよと皮肉を言われましたが、その頃からいろいろなことを考えてやるようになってきました。 経営者にとって、儲からないことが一番かっこ悪いことです。儲かればすべてよし、どんなにかっこ悪い見た目をしていても2000万のレクサスに乗れるのですから。1台目のレクサスを買うときは内心ビクビクしながら500万を現金で、残りをローンで買いました。その後に、1600万のレクサスをキャッシュで買うことができ、その時に、「俺頑張ったんだ」と思えました。普段乗っているのは軽自動車ですけどね(笑)。 —仕事をするうえで大切なことは? 月に100万もらおうが、生活の最低基準の給料をもらえば一緒です。それ以上をもらうというのはそれ以上のことをするだけで、それが幸せとは限りません。 これからやってみようと考えている時が一番幸せです。例えば、買い物をするときも買う前のカタログを見ている時が一番楽しく、買ってしまったら面白くないですよね。 頑張ってそれ以上になろうと思わなくていいと思います。ただ、これがほしいというような、自分の中で満足できる喜びを一個一個達成していくことがどれだけ楽しいことかを実感できると良いと思います。 —成功の秘訣は? 本業がうまくいってない時に他のことやればうまくいくってことは絶対にありません。 みんなかっこいいことをしたくて、いろいろなことに手をだしてしまいます。畜産をしていると1億とか大きな金額が入ってきます。しかし、それは自分のお金ではなく、豚を飼うためのお金です。それを勘違いしたら失敗してしまいます。 「養豚業になるな豚飼いになれ。」企業者になってしまうと、やりそこないます。かっこ悪い豚飼いで、かっこいいことをこそこそやる。コップから水がこぼれた分だけで遊ぶことが秘訣です。 養豚は、動くお金が大きいから勘違いしやすいので、「怖い」という思いを忘れずに勘違いせずやっていく必要があると思います。
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